Jean Pierre Marie PERSOIT(ペルソワ) ヴァイオリンの弓、1830年頃

フランスの弓製造業はFrançois Xavier TOURTE(トゥルト)、Jean Pierre Marie PERSOIT、Jacob EURY(ユリー)という三人の天才職人により、1800年より1835年に掛け、その頂点に達しました。

この度、Atelier Français Tokyoは、この黄金期を代表しながらも独特な歴史を辿ってきた特別な弓についてご紹介したいと思います。

この弓は、1830年代にPERSOITがパリにて手掛けた一品です。フランス北部のフレンヌ=シュル=エスコーという小さな町にて、Stanislas DESANDROUIN(S.デサンドルワン)の所有していたシャトーの調度品の一つであったとされています。1836年に、このシャトーはRENARD(ルナール)家の手に渡りました。以下の抜粋はその家族の子孫が残した証言であり、そこにはフランスの歴史も大きく関わっていることが分かります。

Jean-Marie Stanislas Desandrouin(デサンドルワン)
Jean-Marie
Stanislas Desandrouin
(デサンドルワン)

「私の祖先、Jacques Renard(J.ルナール)(我が家のサロンの壁に掛かっている肖像画の人物)はシャルトルという地方のつつましい家に生まれ、フランス革命の恐怖政治時代に共和国親衛隊としてパリ高等法院付属監獄の警備に就いていました。当時、この監獄は囚人達がギロチンで処刑される前の最後の時間を過ごす場所でした…祖先はそこでStanislas Desandrouin子爵という囚人と親交を持つようになり、彼の脱走を手助けしたことから、永遠についえることのない友情と信頼の関係を結びました。フランス革命後、Desandrouin子爵は、彼の父が立ち上げたフランス史上初の資本主義的企業である「アンザン採掘会社」を再興させたいと思い、会社の実質的な経営を担当する右腕となる存在を必要としました。そこで私の祖先に声が掛かり、19世紀には石炭採掘の最大手となる企業の経営を彼は引き受けました。Emile Zola(E.ゾラ)はこの会社の炭鉱より直接影響を受け、傑作『ジェルミナール』を書いています。Jacques Renardは会社のあったフレンヌ=シュル=エスコーの町において極めて優秀な人物として名を上げ、約30年に渡ってそこの町長も務めました。1836年にデサンドルワン子爵の跡取りがシャトーとそれに伴う動産を手放す決断をした際、Jacques Renardの息子が買い取りました。シャトーは1907年まで一家によって所有されておりました。この時代の品物や調度品はこのように代々受け継がれたことによって今日まで守られてきています。またシャトーの方は現在、18世紀の最も優れた建築物として、ユネスコより世界遺産に指定されています。」

シャトーシャトー

シャトーの園内にある愛の神殿シャトーの園内にある愛の神殿

このように、今回の弓は一世紀半に渡って保存されており、演奏に一度も使用されたことがない可能性もあります。2014年に、簡素なヴァイオリンのケースに入った状態で発見されました。

この時代のパリにおいて製作された大半のものとは異なり、PERSOITが作ったこの弓は頑丈であり、また今日の奏者にとってちょうど良い重さとなっています。あらゆるレパートリーを弾く上で、最適のパートナーとなるはずです。

弓の保存状態は珍しいと思われる程に良好です。チップは独特なものとなっており、弓身は実質的に未使用の状態にあって一度も修理された形跡がありません。フログの保存状態も非常に良好です。ただし発見された際、弓には緒止めのボタンが付いていなかったため、優秀な職人であるSylvain BIGOT(S.ビゴー)氏に依頼し、美しいボタンを復元していただきました。

この並外れた弓は、Jean-François RAFFIN(J.-F.ラファン)氏、Yannick LE CANU(Y.ル・カヌ)氏、Sylvain BIGOT氏による鑑定書が付いています。

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